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【韓国】「あのとき日本に勝っていさえすれば」 … 『高麗・モンゴル連合軍の日本征伐』出版
スレリンク(asia板)
882:2007/06/27(水) 04:23:00 ID:RKoskeniS
高麗軍の将(都督使)「金方慶」率いる高麗軍は
戦略的に意味が無い対馬・壱岐に執着し、防備の薄いこの島々を攻め膨大な
非戦闘員を殺戮した。
島々におけるこの行為は遠征目的と何の関係もなく、
それにフビライは"百姓を殺すな"と命じていた。
この無用の残虐行為は主将の「金方慶」の性格、朝鮮人の民族性によるとの事である。
彼らは島民を見つけ次第、男子は斬殺し、女子は手の掌に穴をあけて綱を通し
船舷にぶらさげるなど残虐の限りをつくした。家屋は焼き尽くされ、家畜の
被害も甚大で、壱岐牛も一頭もいなくなった。
敵兵は住民を捕らえ暴虐の限りを尽くしたということです。
山に逃げ隠れ潜む住民の赤子の泣き声を聞いて、捜しまわり、捕らえては、
ことごとく殺しました。中には、命惜しさに愛する我が子を刺し殺して、
逃げ隠れする者もあったと伝えられています。
捕らえられた妊婦は腹を裂かれ、中の赤子を掴み出されて殺されました。
意にそまぬ婦女子は手に孔をあけられ、縄を通してから、引きずり回され、
後、舷外に吊るされました。 (新元史・鎮西要略・壱岐国史・元寇物語)