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一連の失言の責任を取り、中山国交相が辞任したが、一国の大臣がそこまでして敵対
視する日教組(日本教職員組合)とは何なのか? 戦後、GHQ(連合国軍総司令部)
の指令がきっかけで結成された組合の歴史と批判を振り返る。
日教組は1947年6月8日、3つの教職員団体が合同し誕生した。結成大会では「
わが国に残存するあらゆる悪条件とたたかい、これを徹底的に打破して豊かな民主主義
教育・文化の建設にまい進することを誓う」と宣言。50年に朝鮮戦争が始まると、平
和4原則(全面講和、中立堅持、軍事基地提供反対、再軍備反対)と「教え子を再び戦
場に送るな」のスローガンを訴えた。
文部省(現文科省)とは対立の歴史があり、勤務評定や主任制反対闘争などで「スト
戦術」を断行。一方の文部省も86年には、藤尾正行文相が「教育の原点は、よき日本
人の育成である。日の丸、君が代は、その象徴。日教組? いつでもいらっしゃい」と
挑発するなど、全面バトルの構図が続いていた。(藤尾氏は日韓問題の失言で、在任
50日という短命で辞任している)
しかし、時代の流れとともに日教組には保守層のみならず、その政治的姿勢などに教
育現場からも疑問や批判がひん発。若手を中心に組織への関心も薄れ、82年には59
万人を超えていた加入教職員数も、06年には30万人を下回った。89年には委員長
人事をめぐって内部分裂騒動も勃発(ぼっぱつ)している。
(続く)
■ソース(スポーツ報知)
URLリンク(hochi.yomiuri.co.jp)
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