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南京戦に従軍した元東京日日新聞(毎日)カメラマン、佐藤振壽(しんじゅ)氏が今月4日、
95歳で死去した。佐藤氏は“百人斬(ぎ)り”の新聞記事の写真を撮影しながら、「記事は事実ではない」と言い続けた。
(中略)
問題の記事は、東京日日新聞の昭和12年12月13日付に「百人斬り“超記録”」
「向井106-105野田」「両少尉さらに延長戦」という見出しで掲載された。
「【紫金山麓(さんろく)にて十二日浅海、鈴木両特派員発】南京入りまで“百人斬り競争”といふ
珍競争をはじめた例の片桐部隊の勇士向井敏明、野田毅両少尉は十日の紫金山攻略戦のどさくさに
百六対百五といふレコードを作つて、十日正午両少尉はさすがに刃こぼれした日本刀を片手に対面した」
(中略)
だが、佐藤氏は平成6年5月の本紙連載「南京の真実」で、こう証言している。「修羅場になったら(野田少尉が務める)
大隊副官は大隊長の命令指示を受けて、何中隊はどうする、と命令を下してなくちゃいけないわけです。
(向井少尉が務める)歩兵砲の小隊長は『距離何百メートル、撃てーッ』とやってなくちゃいけない。
それなのにどうやって勘定するの。おかしいなと私は思ったんですよ」
その後も、佐藤氏は「あれは戦意高揚のための記事で、軍の検閲も通っているが、あり得ない話。
戦後、浅海君は“百人斬り”の件で市ケ谷の検事団に呼ばれたが、『あれはほら話』と
いえばよかったんです」と話していた。
(中略)
“百人斬り”は昭和46年、朝日新聞の連載「中国の旅」で蒸し返され、中国の南京大虐殺記念館には
今も、当時の東京日日新聞の記事が“虐殺の証拠”として等身大パネルで展示されている。
“百人斬り”は、新聞記事が生んだ冤罪といえる。
向井千恵子さんと野田少尉の妹、マサさんら遺族は平成15年4月、朝日と毎日などを相手取り、
両少尉の名誉回復を求める訴訟を東京地裁に起こした。
(中略)
訴訟は最高裁まで争われ、いずれも遺族側が敗訴したが、裁判所が新聞記事を真実と認めたわけではない。
(後略)
*+*+ 産経ニュース 2008/09/27[**:**] +*+*
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