08/09/20 20:49:46 v+hmnpmI0
私たちは気づいているだろうか。私たちが将来のために積み立てている「お金」は、
まだ生まれてもいない次世代のこどもたちにとって、借金(負債)でしかないことを。
たとえば、20年後、30年後に老人となる自分のために、1,000万円のお金を積み立てたとしよう。
そして老人になったとき、実際にそのお金を使ったとする。そのとき、そのお金をもらって働く人は誰だろう?
そう、そのときに働き盛りの若者である。
ところが少子化のために、若者は老人と比べてずっと数が少ない。
若者は、たくさんの老人のために必死に働かなければならないが、それも1人では限界がある。
しかし、老人も背に腹は代えられぬから、「自分も1,000万円払うから、どうか自分のために働いてくれ」
という老人が続出する。だが、いくら金を積まれても、若者の体は一つである。
「いくらお金を積まれても、できないものはできない」と断るしかないだろう。それでも懇願する老人には、
「なら、倍の2,000万円出してくれたら考える」と答えるしかない。
では、若者はたくさんの老人からたくさんのお金をせしめて、さぞかし儲かったと言えるかというと、そうではない。
手元に山と積まれたお金を自分のために使おうとしても、自分のために働いてくれる人は、なかなか見つからない。
若者の多くが、老人の相手をするのにとられてしまうからだ。何とかして自分のために働いてもらおうとしたら、
「じゃあ、3000万円出してくれたら考える」という返事が来ても不思議ではない。
若者は、いくら稼いでも自分のために働いてくれたり、商品を提供してくれたりする人を見つけることはできなくなるのである。
結果として、老人の持っているお金は、老人にとっては「富」かも知れないが、
その老人を支える次世代の若者にとっては、「負債」でしかない。
しかも、次世代は私たち現在の世代から借金をした覚えは全くないのだ。
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