08/09/03 03:48:37 0
福田康夫首相の退陣表明から一夜明けた2日、首相の存在は忘れられたかのように総裁選への手続きが進んだ。
首相はマスコミとは接触したくないと、記者団との「ぶら下がり取材」を拒否。心の動揺は隠し切れなかった。
退陣会見は突然のものだったが、首相にはすでに今年4月から退陣の2文字が頭をよぎっていた。
首相が後見人でもある森喜朗元首相に辞意を漏らしたのは、改正租税特別措置法の衆院再可決を前にした今年4月だった。
大連立構想の破綻(はたん)に始まり、日銀総裁の空席、ガソリン税の暫定税率失効と「ねじれ国会」にくたびれ果て、
「辞めたいなあ。もう外遊もしたくないよ」と、森氏に赤裸々に語っていた。
首相は、4月末から5月の大型連休にかけて予定していたロシアとイギリス、ドイツ、フランスの欧州3カ国
訪問を取りやめたいと漏らした。
ロシアとのパイプが深い森氏は「少なくともロシアだけは行くべきだ」と説得した。
その結果、首相は欧州3カ国歴訪は見送ったものの、ロシアには出向き、メドべージェフ、プーチンの新旧大統領と会談した。
森氏らは、北海道洞爺湖サミットが終了後、声高に内閣改造熱をあおった。
森氏は福田首相が内閣改造(8月1日)を断行する半月ほど前の7月中旬、周辺にこう語った。
「おれは福田さんの背中を押してやるだけだ。自前の内閣を作って、9月までしか持たないかもしれないが、そこまでは頑張ってほしい」
人事を断行しても支持率は低迷。
身内の公明党からも揺さぶられ、臨時国会の乗り切りは誰の目から見ても容易ではなかった。
森氏が首相から、退陣表明の連絡を受けたのは1日午後7時半過ぎ。緊急会見のわずか2時間前だった。
2人の関係からすれば水くさいものだ。
驚いた森氏は「待て。慌てるな。これから官邸に行く。話し合おう」と電話口で食い下がった。
首相はきっぱり拒否した。「来なくていいですよ。もう遅い。記者会見をすでにセットしたから」
決断できないリーダーと言われた福田首相の最後の決断だった。(続く)
毎日新聞 2008年9月3日 2時30分(最終更新 9月3日 2時30分)
URLリンク(mainichi.jp)
URLリンク(mainichi.jp)