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・「アジアのノーベル賞」と呼ばれるフィリピンのマグサイサイ賞を受賞している中村哲さん(61)は、
1984年から、アフガニスタンとパキスタンの国境付近で、主にハンセン病患者の診療にあたってきた。
▼やがて、医療活動だけでなく、農業支援や水源確保に乗り出す。2000年夏からの大干魃
(かんばつ)を目の当たりにして、病気の蔓延(まんえん)を防ぐには、清潔な飲料水と十分な
農業生産を確保することが先決だと悟ったからだ。「百の診療所よりも一本の用水路」が
合言葉になった。
▼中国には「水を飲むときには、井戸を掘った人を忘れない」という意味の言葉がある。
日中国交回復の実現に力を尽くした人々をたたえる際に使われた。中村さんたちは、
文字通りアフガンの人たちのために井戸を掘った。その数は1500本を超える。
▼徹底的な現場主義を貫く中村さんにあこがれて、多くの若者が集まった。動機はさまざまだったが、
口をそろえて「現地に来て初めて人の情と絆(きずな)に触れた」「汗を流して働くことの
嬉(うれ)しさを知った」と述べたという(『医者、用水路を拓く』石風社)。
▼2003年12月から、中村さんの活動を支援する「ペシャワール会」に参加した伊藤和也さん
(31)もその一人だった。故郷の静岡県で農業を学び、現地では、米や大豆、茶などの普及に
取り組んだ。現地語にも堪能で、住民の信頼も厚く、娘の婿にという話まであったらしい。
▼4年前にイラクで拉致された若者たちの幼稚なふるまいとは次元の違う、プロの仕事ぶりだった。
治安の悪化は想像をこえる。事件を回避できなかった関係者の衝撃は大きい。「アフガンの土に
なってもいい」。そんな息子の熱意に打たれて、送り出した両親の悲痛はいかばかりか。
URLリンク(sankei.jp.msn.com)
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