08/08/30 01:46:16 MypMJBkI0
>>954
普通に今の中国語で「日本」という漢字を発音すれば、そう読むからじゃないの?
「日」をニチ、「本」をホンと読むのは、昔の中国語の発音を日本人が聞き取ったものだからね。
今と昔で漢字の発音も違ってるし、さらに日本語に輸入される際に日本語ナイズされている。
でもrの音を繰り返し発音してみれば、nやjに近いのはなんとなく分かるし、
bがpの音と関係あるのも分かるだろう。
957:名無しさん@九周年
08/08/30 01:56:30 g+LdVd8n0
>>955>>956
わー、見落としてた。サンクス。
958:名無しさん@九周年
08/08/30 01:58:10 WZNUg9CA0
>>955
>「院政期京都方言」みたいな言い方をするんだよ。
おまえみたいな関東人がコンプを克服するために使い始めた言い方なのだろう
959:名無しさん@九周年
08/08/30 02:00:19 wVQpIEBNO
初期大和を支配したのは複数の豪族による連合であって天皇家単独ではない。
その中でも大物主の一族の勢力は強く、天皇家との政略結婚は度々あった。
百襲姫は三輪山の巫女として大物主と共に一地域を統治していた。
大物主は神として君臨し、表舞台に出ていたのは百襲姫だったのかもしれない。
宮内庁が調査を許可しないのは当然。単独の権威を死守する必要がある。
天皇家以外の支配者の家系の存在が明らかになっては不味い。
本来同格であった豪族の幾つかは神官となって現代まで子孫を残している。
960:名無しさん@九周年
08/08/30 02:02:51 U3n2LObx0
万葉集を書いたのは、畿内の人間たちで、
邪馬台国が九州にいた人間ならば、音韻や発音が方言として
まるっきり違っていてもおかしくないのに、なぜ万葉仮名
などという時代もずれている言葉の音韻研究でもって
音から「卑弥呼」は「日巫女」ではないというような論理を
唱えるのか?
961:名無しさん@九周年
08/08/30 02:08:25 0NyZlW0J0
>>960
卑弥呼も万葉集の漢字も、同じ発音記号だよ?
962:名無しさん@九周年
08/08/30 02:10:49 04XkPmb30
>>958
知らんけど、少なくとも戦後は学者を問わず普通に使われている用語だよ。
まず、「日本語(畿内語)の歴史、文献を語る上で関東なんか関係無いのに」
この認識は大きく間違っている。
日本語の文献時代の初期、奈良時代の万葉集に大量の関東方言が記録されている。
「東歌」「防人歌」などがそれだ。
室町時代にキリスト教宣教師が来たときも、関東方言の特徴はかなり文献に残されている。
この時は、他にも中国地方の方言や九州の方言もかなり記録に残されている。
同じ頃には沖縄で「おもろさうし」などかなりの文献記録が出現し始めるし、
江戸時代に入ると各地で方言集が出る。
京都以外の方言の文献記録も、確かに京都に比べると圧倒的に乏しいがないわけではない。
それに、京都以外の文献記録がかなり欠如しているからと言って、
「だから京都以外を無視していい」というのは真摯な態度ではない。
例えば平安時代には京都方言以外のことはほとんど分からないが、
だからと言って、当時の京都方言に見られた事象が他の地方に当てはまる保証は何もない。
だから、「平安時代の京都方言はこうだった」と限定する必要もある。
あと、8世紀の奈良方言と、18世紀中頃以降の江戸方言は文献に残っている中央語だから、
この中央語の移動も考慮しなければならない。
実際、奈良時代と平安時代、江戸前期と後期の文献とを比較する際には、対象の方言の移動が問題となる。
まあどうせ俺は東北人だからコンプも何もあったもんじゃないんだけど。どうせその頃はアイヌ語地域だし。
>>960
「卑弥呼」に関しては上代特殊仮名遣いとかそれ以前の問題。
例えるなら、英語圏の文献に「himivo」と記録されていたとかそういうレベル。どう頑張っても「ヒミコ」にならない。
963:名無しさん@九周年
08/08/30 02:32:27 iT4jUXIF0
まあ、なんだ
損して特別公安 特公 の特を取り払えだな
964:月光
08/08/30 02:32:44 WgStDKiS0
学閥の関係から、学者がまともな研究をできないのはかわいそうだが、遺跡など
からは、吉備説=吉備大和合同発展説が出てきてもいいのでは?
1、190~247年の卑弥呼実在時期の国内最大墳墓、交易制海権は吉備にあった。
青めのう、真珠。初期最大古墳のタテツキ遺跡の木管跡には、重量30キロの大量の
朱・水銀を使用(他の国内総使用量の数倍) =卑弥呼は朱好き。
2、倭人、秦氏コロニーも古く(鮮卑秦ハダ河西王=前秦、後秦末裔説、一族も健在)
紀元8年の王蒙の貸せんも大量出土で大陸交易の拠点。遺跡のご神体「亀石」の
「弧帯模様」は後の埴輪、朝廷模様に。 亀石には、中央アジア風のライオンの紋章レリーフ。
3、266年に後継の台与が晋に使い、その後、邪馬台国畿内説最大の根拠である マキムク・箸墓古墳に
吉備の第三期の特殊器台(後の埴輪)が登場し、出雲やほかの土器、古墳様式が合流していく。
後漢鏡の集中、秦氏系吉備工人も移動。始皇帝風の巨大土木、後円墳建造時代に。
965:月光
08/08/30 02:51:12 WgStDKiS0
4、倭迹迹日百襲姫は箸墓古墳の主で崇神の叔母、吉備津彦命の姉。=最後の吉備女王台与説
「吉備大和連合説」という、学会の公式見解からいけば、大和に吸収され遷都(その逆もあり)
5、その後、造山古墳(天皇家以外では日本最大規模第四位)全長350メートル等、
当時の吉備で墳墓は巨大化していく。瀬戸内制海権を握る吉備が大和連合の中心か?
6、吉備・任那同盟、朝廷との外戚関係(吉備から兄媛、黒媛を。応神・仁徳親子の
吉備訪問日本書紀記述は里帰りでは?)数度の半島を巻き込んだ反乱抗争(内戦か?)
7、アメノヒボコ伝承、桃太郎伝説、鬼城のウラ伝説、吉備津彦神社のお釜神託(卑弥呼神事)
8、古い墳墓、遺跡絵画の船は、先が反り返っているゴンドラ。靴とか服装も北方騎馬系だし、
まあ鮮卑、突厥(いまのトルコ、ウイグル、チベット族系?)支配の五湖十六国時代の
中国系渡来説。
966:月光
08/08/30 03:01:39 WgStDKiS0
補足
つまり、王蒙の前漢の時代(紀元8年ごろ)から、数次にわたり、大陸系
渡来人や交易人が来ており、その逆に列島から半島南部に殖民するケース
もあるが、8世紀ごろまでは、複数の軍事政権が連携し、ヤマト連合政権を
運営したので、邪馬台国の所在程度のことは、たいした課題ではなく、古代史の
ロマンを呼ぶエピソードでしかないと思う。
けりのつかない邪馬台国論争の影で、隠蔽されるユラーシア大陸を巻き込む古代日本
成立への基礎研究のほうが、重要では?
いまも生朝テレビで田原がやってるが、天皇万世一系幻想をちゃんとしてないと、新しい
21世紀のナショナリズムすら起草できないのではないだろうか?古代複数の王朝が
乱立していたことは事実。
967:名無しさん@九周年
08/08/30 03:33:24 jsE5pgH+0
学会はもう邪馬台国論争とかやってないんじゃないの
基本的に考古学をベースにした研究に移行していて
いわゆる邪馬台国の時期に広域首長連合な王権が
纏向にできてたことまではおおむね一致してるように聞いてるが
つまり、どうプレ大和王権みたいなものから大和王権ができたっかて話が問題で
すでに学会は「邪馬台国」にはすでにこだわってないが強いて言うなら畿内説。
九州説はアマチュアの好事家しかいないとか
吉備ほかの各地のクニというか広域首長連合はどう
大和王権に吸収されて行ったかって流れでは面白いんじゃない
968:名無しさん@九周年
08/08/30 03:34:24 IGvHt15G0
わぁ…このスレ濃いなぁww
969:名無しさん@九周年
08/08/30 05:09:58 PIY0Aa1M0
九州奄美地方で一番古い神社は
竈、竈門(かまど)神社(別名宝満神社)
と玉垂宮
って知ってる?
2chの連中は無知だから知らないだろうな・・
この神社が邪馬台国とどういう関係にあったかが
邪馬台国が何処にあったかの鍵を握ってると思う。
970:名無しさん@九周年
08/08/30 05:11:30 DM70M68M0
今日の林原恵スレはここかな。
971:名無しさん@九周年
08/08/30 05:12:12 FGBKKLwU0
>>970
巣にお帰りください
972:名無しさん@九周年
08/08/30 05:13:53 PIY0Aa1M0
ちなみに宝満神社と玉垂れ宮系は
西九州から奄美に広がる。
973:名無しさん@九周年
08/08/30 05:15:34 DM70M68M0
step
URLリンク(jp.youtube.com)
974:名無しさん@九周年
08/08/30 07:27:25 NjJDDDoZ0
千数百年も前の人が何を考えてお墓作ったかなんてわからねえよ
975:名無しさん@九周年
08/08/30 07:41:50 stWre7Rh0
>>974
もちろんわからんけど類推することはできるよ。
一緒に埋まっている花粉や火山灰や木材の年輪から絶対年代を特定し
墳墓の建築様式を時代ごとに比較したりしながら、政治力の大きさや当時の建築水準を
埋葬方式から当時の指導者層の宗教的な考え方やら古代東洋世界における文化伝播の状況を
といった形で証拠を積み重ね外堀をじわじわ埋めるような形で輪郭が出てくるわけさ。
もちろん年数が経っているから全てが今に伝わるわけもないわけで
当時の状況が100%判明するなんてことは永遠にないわけだが。
いやー濃いスレでした。音韻学のネタなんて久しぶりに見られて面白かったわ。
大昔の考古学の人は感情的なことを平気で論文に発表したり、
科学的な手法で判明した絶対年代に対して相対年代の優位を主張したりしてアレな世界だったらしいけど
最近は実証的になってきたのかねぇ。がんばってほしいもんです。
976:名無しさん@九周年
08/08/30 08:18:50 Z+oyB4AF0
977:名無しさん@九周年
08/08/30 08:58:14 PIY0Aa1M0
>>967
俺は邪馬台国は少し乱暴な言い方だけど
拠点は二つあり一つは宇佐、一つは大和
それらに丁度併呑されたばかりの筑前や肥前が
まさに魏志倭人伝の舞台になってるという考えだけど、
あなたの言う畿内説では邪馬台国は畿内にあるのは
いいとして奴国や狗奴国は何処にあってそして九州の
権力構図はどうなっていたと考えられているんですか?
978:名無しさん@九周年
08/08/30 09:29:08 jsE5pgH+0
>>977
それしかないから根拠にされてる中国文献の比定ばっかり
しててもしょうがないじゃないってのが前提なんで、どうでもいいってことになるんでは・・・
マキムクに都市を新造したプレ王権というか広域首長連合の範囲は
東西だと東海から阿波に及んでることは確認されてるようです
瀬戸内航路とか北九州などの影響圏はどうなってんでしょうね
979:名無しさん@九周年
08/08/30 10:10:55 U3n2LObx0
中国から九州地区に来た特派員は取材の替わりに接待攻勢を受けて、
長居をし過ぎた。本庁に戻った時に、現地で長期遊び呆けていたことを
誤魔化すために、邪馬台国はまだまだずっと日数がかかるという倭人の
軍事上のでまかせの話をそのまま信じて、自分の足と目で確かめる努力を
行って、みやげ物を貰って帰っていったのさ。
そもそも、邪馬台国のルーツは、始皇帝を騙してトンズらした
除福の部落が大きくなっていたものだった。
980:名無しさん@九周年
08/08/30 10:20:02 2jkKy5fWO
しまった!
今、墓立て替えしてるんだが、前方後円墳にすればよかった!
面積一坪しかないけど‥w
981:名無しさん@九周年
08/08/30 10:50:41 adKQrFDHO
九州説の大きな弱点は投馬国50000戸邪馬台国70000戸をどう説明するかだよね?
ゲルマン民族の大移動みたいに
大和に移住したか?
982:名無しさん@九周年
08/08/30 10:58:23 jsE5pgH+0
移住なり征服なりがあったとすると出土文物の大幅な系統変化が見られないと
いけないけど、そういうのないでしょ
東遷説は魅力的で好きだけど、実際むりぽ
983:名無しさん@九周年
08/08/30 11:23:01 LRk5tmAL0
>>982
いや、いろんな説明がつくよ。
URLリンク(yamatai.cside.com)
ここでも説明してあるけど、こじつけもあるけどそれなりに筋の通った説もある。
結局、どの説もそれなりに説明がつくということ。
だから結論が出ない。
今は近畿説優勢だけど、邪馬台国東遷説になると互角の勝負じゃないかな。
おれは東遷説で邪馬台国が大和王権になった…とは思っていなくて、邪馬台国が東征して一時九州、中国、近畿を治めた。
しかし、その後近畿の勢力に邪馬台国は滅ぼされ、滅ぼした勢力が勢力を拡大し大和王権となった…
と思っているけどね。
984:名無しさん@九周年
08/08/30 11:27:02 U3n2LObx0
邪馬台国は出雲勢力によって滅ぼされたのかもしれないだろう?
985:名無しさん@九周年
08/08/30 11:33:04 JpYOSr+g0
また卑弥呼卑弥呼詐欺か。何か出るたびに、いい加減に汁
考古学者って、馬鹿なの?
986:名無しさん@九周年
08/08/30 11:35:48 REjFmHtG0
1本500万円の出演料で『大和撫子タマの腰』でデビュー。
987:名無しさん@九周年
08/08/30 11:38:23 LRk5tmAL0
>>984
おれも出雲はキーポイントだと思っている。
出雲と近畿の連合軍にやられた可能性も大きい。
で、その後出雲の勢力を近畿が飲み込んだ。
出雲と近畿の勢力はほぼ同じルーツではないだろうか。
銅鐸文化の出雲と近畿、銅矛文化の邪馬台国。
銅矛文化の邪馬台国が一時銅鐸文化諸国を征服し銅鐸は消えた…
その後銅鐸文化の連合軍によって銅矛文化の邪馬台国は滅ぼされる。
しかし、実利の少ない銅鐸が復活することはなかった…
こんな可能性もある。
988:名無しさん@九周年
08/08/30 11:42:35 mnMDEQwE0
卑弥呼って美人だったのかね?
989:名無しさん@九周年
08/08/30 11:45:58 XfwRJDrf0
>>985
少なくとも、アンタよりは利口で知識があります。
990:名無しさん@九周年
08/08/30 11:47:43 kx+Pa5cS0
>>988
一生処女だったとは思うけどね
魏の使いが来た頃はオバハンかババア
991:名無しさん@九周年
08/08/30 11:48:12 3sk3WkTrO
「卑弥呼の墓」があるのは、日本!
アメリカの一つの州より小さな島国なんだから
何処でもいいじゃん。
992:名無しさん@九周年
08/08/30 11:50:48 jvdWuLl30
死せる卑弥呼、生ける日本を惑わす
993:名無しさん@九周年
08/08/30 11:57:07 LRk5tmAL0
>>991
なんのなんの!!
邪馬台国「ジャワ説」「ハワイ説」もあるでよ!
994:名無しさん@九周年
08/08/30 11:59:40 adKQrFDHO
>>987
神武天皇は
どう説明する?
995:名無しさん@九周年
08/08/30 12:09:10 CitTDXo80
>>994
結局、卑弥呼の後に邪馬台国に入ったのが神武=祟神天皇ですかね?
996:名無しさん@九周年
08/08/30 12:15:30 adKQrFDHO
>>995
紀記では逆だよね。日向から諸国旅して大和に入ってる。
997:名無しさん@九周年
08/08/30 12:16:59 kx+Pa5cS0
>>995
年代も本拠もあまりにも近接しすぎてる。
直接の後継者か平和的な権力委譲とみたほうがよさそう。
998:名無しさん@九周年
08/08/30 12:22:42 PIY0Aa1M0
DE,お前ら九州奄美の竈神社、宝満神社って知ってる?
これが九州最古の信仰を承継してると俺は考えてるが
情報があまりに少なく、しかも学者は無視を決め込んでるのか
全く議論がみえてこん。
999:名無しさん@九周年
08/08/30 12:23:38 4xeIiEU+0
>>995
神武は1世紀の人。
邪馬台国は、その後、2世紀から畿内で興った。
1000:名無しさん@九周年
08/08/30 12:23:44 LvqEWMsjO
>>1000なら俺の墓
1001:1001
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