08/08/28 02:14:48 iuPqF3E50
これは主に邪馬台国近畿説の人に質問ですけど、
大和をどうしてヤマトと読むの?
語源からいったら当然「山の門」(海や陸地の方から見ての山の入り口)の山門だよね。
近畿の大和盆地は「山門」の条件を満たしていない地形なのにヤマトって呼ばれてるよね。
本来江戸にだけあるべき「銀座」という地名がが銀貨の製造に関係のない地方都市にもうじゃうじゃ移植されているのと同じように、
「ヤマト」っていう言葉もそういう大都会とか首都の代名詞として近畿の盆地に移植されたんじゃないですかね。
福岡県の室見川や樋井川中流域とか(平原や大宰府)、筑後山門とか、吉野ヶ里とかは
地形がそのままヤマト(山への入り口)だから山門と呼ばれていても納得だけどね。
倭も大和も全然ヤマトと読めない言葉を敢えてヤマトと読ませる記紀の作者には、
「ヤマト(山門)」という言葉に対して特別の神聖な思い入れがあるように感じるのは私だけ?
日本中に転がっている「○○銀座」のように都会の象徴みたいな誇らしげな響きが
「ヤマト(山門)」という言葉にはあったみたいな印象を受けるんだけど・・・。