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北京五輪の男子レスリングで、スウェーデン選手の銅メダルがはく奪された。
敗れた準決勝での判定への不満から、表彰式での振る舞いやメダルの扱いを
とがめられた。
近年、審判、あるいはその判定を、公然と非難する指導者、選手が少なくない。
昨夏の甲子園でも、決勝で敗れたチームの監督が試合後、報道陣にボール、
ストライクの判定についての不信を語り、問題視された。
確かに、第三者が見ていても「おやおや」と首をかしげたくなる判定はある。
営々と積み重ねてきた努力が「誤審」で報われないならば、悔やみきれない
だろう。その気持ちは分かる。しかし、ルールを作り、できる限り公平を期して
競い合うのがスポーツだ。そのルールをつかさどるのが審判である以上、
審判は絶対だ。
判定が本当に誤っていたならば、きっと第三者にも分かる。そして、心の底から
同情と共感を送るだろう。それをもう一つのメダルと考えて、じっとこらえてほしい。
「言わぬが花」というではないか。
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