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隣国が五輪で盛り上がっている。アジアで3度目の五輪だ。ここは、五輪開催国の先
輩として祝福すべきだが、どうも素直になれない。開会式の「夢の祭典開幕」という新
聞見出しより、「国家の威信最優先」という批判的な見出しに共感している。ただ、国
の威信の程度はともかく、五輪開催地はとかく見えを張りがちらしい。44年前の東京
五輪はどうだったか--。
国家予算が3.6兆円の時代、五輪に1兆円を投入し、突貫工事で首都高速道や地下
鉄を整備して東海道新幹線を走らせた。スポーツの祭典というより、高度成長を収穫す
る「秋祭り」と言われた。高さ50メートルのつり屋根を持つ屋内総合競技場の「貝」
を思わせる威容は、世界を驚かせた。北京五輪の「鳥の巣」のような象徴的な建物だっ
た。
「昭和30年代の日本人の最も愛すべき点は、変にさめたりしないところだったから、
オリンピックは、全力で盛り上げた」と作家の故永倉万治さんが回想している。
重量挙げで「三宅義信選手が、バーベルを持ち上げる瞬間は、テレビを観(み)てい
た日本中の人間が、おそらく、全員三宅選手になっていたのではあるまいか」と。そし
て「東洋の魔女」がソ連を破った女子バレーの優勝の瞬間。「マッチポイントになって
から、勝利が決まるまでの、ジラすような長い時間、戦後の日本人が、恥ずかしいくら
いに心をひとつにしたのは、後にも先にもあの時だけだったような気がする」と--。
五輪に大はしゃぎの中国群衆の姿は、昔の自分らのようで苦笑を誘う。だが、わが方
の余裕には寂しさも混じる。
■ソース(毎日新聞)
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