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「アメリカはいかにして日本を滅ぽしたか」
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プラザ台意のお膳立てー金本位制に代わる財務省証券制なぜこのとき、日本はドルを支える必要性
を感じたのか。この答えは、アメリカがいかにして自国の貿易赤字を他国に支払わせることができた
かの理由にもなる。貿易赤字を抱えていれば、通常は消費や投貸の抑制、さらには歳出削減や冨裕者、
特に不動産役資家への増税を行なう。そのために景気は減速する。
では、アメリカはいかにして、これを回避したのか.
ドルの還流政策がとられ始めたのは、アメリカが金本位制を廃止した1971年であった,べトナム
戦争でアメリカは海外に莫大なドルをぱら撒いていたため、世界中の中央銀行が米ドルを一オンス35ドル
で金に交換し始めた。しかし、日本のように国際収支が黒字の国は継続してドルを受け取っていた。
たとえば、べトナムのアメリカ兵が休養と娯楽のために日本に送られてくると、アメリ力は日本で使う
ために何十億ドルもの米ドルを円に交換した。この間のアメリカ経済は、消費財ではなく、いわゅる
「べンタゴン資本主義」とも言える武器製造に集中した。原価に術定の利益を加算する原価計算方式によ
って、企業の経営者は製造費用をできるだけ高くし、価格にそれを反映させて儲けたため産業界は豊かになった。
これは市場競争にとってよい経験とはならなかった。コスト削減意識が培われなかったためである。
政治制度もまた、べトナム戦争とそれに関連する軍事支出に反対する多数の団体を買収することで成り立っていた。
このような状況下でアメリヵの消費者は急速に、自動車や電化製品などを海外のサブライヤ-から購入するようになっていった。
日本製品もアメリカ市場で売れるようになったが、日本のメーカ-はそこで得た米ドルを日銀で円に
交換し・その円を生産設備の充実や住宅その他の投資に便った。日銀は集まったドルの使い道を決めなけれ
ばならなかった。フランスでは、ドゴ-ル将軍が余剰ドルを毎月金に換えていた。しかし敗戦の痛手から
抜け出せなかったためか、日本は他の主要国に比べて金の保有高を少なくするょうアメリカに圧カをかけられた。