【社会】 「科学を信じていた」 原爆開発計画に携わった女性科学者(86)、初来日…原爆ドームに絶句★3at NEWSPLUS
【社会】 「科学を信じていた」 原爆開発計画に携わった女性科学者(86)、初来日…原爆ドームに絶句★3 - 暇つぶし2ch1:☆ばぐ太☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★
08/08/07 03:35:36 0
・原爆開発計画に携わった女性科学者、ジョアン・ヒントンさん(86)が初来日し5日、広島を訪れた。
 「自分がつくったものがどんな結果をもたらすのか。それを考えず、純粋な科学者であった
 ことに罪を感じている」。しょく罪の意識から、広島訪問をかねて望んでいた。

 「オーフル(awful、ひどい)…」。5日午後、原爆ドーム。ヒントンさんは鉄骨がむき出しの
 最上部を仰いだ。「私はただ、実験の成功に興奮した科学者に過ぎなかった」

 1945年7月16日。核実験のきのこ雲に、ヒントンさんは胸を躍らせた。米国が始めた
 「マンハッタン計画」。12万9000人を動員した計画が結実した瞬間だった。

 「科学を信じていた」。物理学を専攻した21歳のころ、放射線観測装置を完成させた才女は
 請われるまま同計画に参加。プルトニウム精製を担い、全資料閲覧と全研究施設立ち入りを
 許可される「ホワイト・バッジ」を与えられた。約100人しかいなかったという。
 核実験の2カ月前にドイツは無条件降伏しており「研究目的の原爆開発であり、使われないと考えていた」。
 しかし8月6日。広島上空で原爆がさく裂する。新聞で原爆投下を知ったヒントンさんは声を失った。
 「知らなかった。本当に知らなかったの」と、まゆをしかめて話した。

 戦後は核兵器の使用に反対する動きに加わった。48年、内戦が続く中国・上海に渡った。
 内モンゴルに移住し酪農を営んだ。消えた足跡に、米雑誌は「原爆スパイ」と書き立てた。
 健在が知られたのは51年、全米科学者連盟にあてた手紙が中国の英字紙で報じられたからだ。
 それにはこうあった。
 <ヒロシマの記憶--15万の命。一人一人の生活、思い、夢や希望、失敗、ぜんぶ吹き飛んでしまった。
 そして私はこの手でその爆弾に触れたのだ>

 あの朝から63年。今なお後遺症に苦しむ人がいる。米国を憎む人がいる。
 「なんと言えばいいか…」。ヒントンさんは絶句し、宙を仰いだ。(一部略)
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