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<ラオス採集記 パート2 その2 ジャール平原のベニシジミ 養老 孟司氏>
(略)ジャール平原は、ヴェトナム戦争を知る世代でないと、あまり聞いた覚えがない地名かも
しれない。平原のあちこち、いたるところに爆弾の跡がある。戦後四十年、まだ大きな穴が開
いている。(略)よくもこれだけ、爆弾を落としたものである。
(略)
ピカソのゲルニカは有名だが、あれをやったのは、結局はナチス・ドイツである。だから有名な
のであろう。米英軍がやったことは、それほど有名ではない。広島・長崎はともかく、ドレスデン
爆撃や東京大空襲を、世界のどれだけの人が知っているか。上手なものだなあと思う。宣伝を
ヒットラーに学んだのかもしれない。
いったん敵に叩かせ、次にイヤというほど叩き返し、グーの音も出ないようにする。これをしっぺ
返し戦略という。動物の行動としては、これがいちばん有効である。アメリカの動物行動学はそ
ういう。真珠湾攻撃をやって負けた日本が典型である。この戦略こそがアメリカ流で、それに乗
せられないように注意しなければならない。九・一一もおそらくそれではないか。あれが仕組ま
れたことだとしたら、もはや相手に逃げ場はない。
イラクの歴史がいずれ書かれるであろう。いかに徹底的にやられたか。米英がイラクを叩く必要
があったのは、単にフセインを除く必要があったからである。「狡兎死して、走狗煮らる」。現代史
なのに、その間のいきさつを詳しく知っている日本人は少ないはずである。メディアはほとんど報
道しなかったからである。見聞きするほうも、自分には関係がないと思っているから、健忘症になる。
(以下略。全文は URLリンク(business.nikkeibp.co.jp) )