08/08/06 00:10:17 EyR+NTFl0
私見だが、ねらーがこの問題に熱心なのは「贖罪」の意味もあるのかもしれない。
罵倒されながら、それでも貼り続けた、たった一人のねらーの気持ちを考えれば
今でも涙が出る。自分自身が「スルー」しつづけたコピペが頭の中を
よぎっる時、間違いなく贖罪の意識は働く。
すまん。
しかし、そんな恐怖を救ったのも、ネットでありねらーだった。一人が二人、
二人が三人と、少しづつ周知され、スレが立つようになり、書き込みが増えてゆく。
ああ、なんとかなるかもしれない。
そんな安堵を吹き飛ばしたのが7月20日の発表である。
暗闇で襲われかけた女性が、交番にかけこみ、事態を説明し終わった時に
警官が「それが、どうしたの?」とニタニタ笑いながら答えたようなものだ。
「!」
下手な恐怖映画そこのけの「!!!!!恐怖!!!!!」
最初の一人から始まった行動は、少なくとも数千人規模に広がり、その同じ「恐怖」を
あの日、<われわれ>は体験させられた。
もう、とことん行くまで、やるしかない。
そう自分が決意したのは、あの日だったかもしれない。
<われわれ>が感じた、恐怖の総量は、毎日新聞やメディア、マスコミが感じるている
恐怖を は る か に 越 え る 量 である。
あえて言う。 ま だ 終 わ ら せ る 訳 に は い か な い