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1965年 岐阜県多治見市の「裕福な家庭」に生まれる。
叔父は1995年経営破綻した旧信用組合岐阜商銀の安璋煥元理事長(瀬古安会会長)。
「私の身体には日本人の血と韓半島の血も流れています」(著書より)
1980年3月 中学卒業 (中学まで成績と腕力で負け知らず)
約6年間 米ロサンゼルスに「留学」(実際はVISA取得目的の英会話学校のみ? 高校卒業記録 不詳)
ロサンゼルスの高級クラブで働くうち、政財界・外交関係者等と幅広い人脈を培う。
「アラブの富豪と浮名を流し世界の社交界に出入りした」
1986年? ロサンゼルス・シティーカレッジ卒業(?)
ワシントン市に本拠のあるロビング・カンパニー東京支社に就職(?)、日本に帰国
英語通訳派遣会社を経営
1990年? 25歳でホテル「プリンセスガーデン」(旧ホテル三條苑)の社長に就任。
1996年6月 ホテルオーナー上野富吉(鄭富吉)氏「日貿信」(2000年上場廃止)仕手戦中に行方不明
Y組若頭の意図? で実質オーナーに?
2000年 外務省職員との愛人関係?
同 11月 日本に亡命したフジモリ氏の支援者となり「プリンセスガーデン」に滞在させた。
2001年8月 著書2冊を出版
2003年10月 「美濃カントリー」の約5億の所得隠しが発覚。 約2億の追徴課税。フジモリ氏の日本滞在費と表明?
同 10末 元赤軍派議長塩見孝也氏発案「白船義士団」でデヴィ夫人代理として訪朝予定するも頓挫。
2005年2月 オペラ歌手清水楊子をホテル従業員(秘書)石川良が殺害。
同 11月 フジモリ氏ペルーでの選挙のためチリへ入国、チリ警察に逮捕される。
2006年 フジモリ氏保釈。選挙出馬を認められず断念。
2006年4月 フジモリ氏と結婚「紙1枚で入籍しただけ」。
2007年4月 外務省職員、ホテルを離れる(関係破局?)
2007年7月 国民新党より外務省(当時は麻生外相)へフジモリ氏の日本での選挙活動のために
チリ当局からの釈放を求める要請をするが、断られる。
選挙運動中、デヴィ夫人に外務官僚への愛を告白し離婚工作を依頼。
2008年7月 外務省職員へ滞在費1538万円の請求。