08/08/05 00:37:16 fn2DZuFR0
さて、ペルーではオプス・デイは1953年に設立され、創立者エスクリバの本はケチュア語にさえなっ
ているほどです。オプス・デイは1990年にフジモリ氏が大統領となったさい、産業界と高級官僚をつない
でフジモリ支援にまわりました。フジモリ氏とオプス・デイの関係が劇的に見えるようになったのは、
1996年12月にMRTA(トゥパク・アマルー革命運動)がリマの日本大使公邸を占拠したときです。
MRTAとフジモリ政権とのあいだに立って、交渉の任についたひとりが、アヤクチョの大司教
フアン・ルイス・シプリアーニでした。彼は1992年にフジモリ氏がお手盛りクーデタを行なって
議会を強制的に解散させたとき、フジモリ支援を声明した数少ないカトリック関係者でした。
MRTAとの交渉のさいに、シプリアーニは大使公邸になんども足を運んだのですが、
そのさいにさまざまなかたちで盗聴器を持ち込み、それが97年4月の軍の公邸突入に
大きな役割を果たしたことは有名です。彼はMRTAメンバーが虐殺されたあと、
「国家情報部(SIN)の手先」だと非難されたこともあります。
このシプリアーニはペルーのオプス・デイの最有力メンバーのひとりです。
本来なら、リマの大司教(イエズス会士)が仲介役になるのが普通だったのに、
彼を飛び越してシプリアーニを選んだのはフジモリ氏です。今回のフジモリ罷免にいたる過程では、
シプリアーニは沈黙しています。
オプス・デイがシプリアーニたちを媒介にして、フジモリ政権と強固な絆を築いていたことは明白です。
さて、これからが推測です。
フジモリ氏は日本で曾野綾子さんの別邸、ついで田園調布にある彼女の自宅に匿われています。
曾野さんは周知のように、日本の非常に保守的なカトリック教徒として、これまで政治的な発言を