【社会】外務省官僚のホテル宿泊代踏み倒し問題、デヴィ夫人が自身のブログ内で”ホテル経営者”に対し遺憾の意を表明★8at NEWSPLUS
【社会】外務省官僚のホテル宿泊代踏み倒し問題、デヴィ夫人が自身のブログ内で”ホテル経営者”に対し遺憾の意を表明★8 - 暇つぶし2ch166:名無しさん@九周年
08/08/05 00:37:16 fn2DZuFR0
さて、ペルーではオプス・デイは1953年に設立され、創立者エスクリバの本はケチュア語にさえなっ
ているほどです。オプス・デイは1990年にフジモリ氏が大統領となったさい、産業界と高級官僚をつない
でフジモリ支援にまわりました。フジモリ氏とオプス・デイの関係が劇的に見えるようになったのは、
1996年12月にMRTA(トゥパク・アマルー革命運動)がリマの日本大使公邸を占拠したときです。
 MRTAとフジモリ政権とのあいだに立って、交渉の任についたひとりが、アヤクチョの大司教
フアン・ルイス・シプリアーニでした。彼は1992年にフジモリ氏がお手盛りクーデタを行なって
議会を強制的に解散させたとき、フジモリ支援を声明した数少ないカトリック関係者でした。
MRTAとの交渉のさいに、シプリアーニは大使公邸になんども足を運んだのですが、
そのさいにさまざまなかたちで盗聴器を持ち込み、それが97年4月の軍の公邸突入に
大きな役割を果たしたことは有名です。彼はMRTAメンバーが虐殺されたあと、
「国家情報部(SIN)の手先」だと非難されたこともあります。
 このシプリアーニはペルーのオプス・デイの最有力メンバーのひとりです。
本来なら、リマの大司教(イエズス会士)が仲介役になるのが普通だったのに、
彼を飛び越してシプリアーニを選んだのはフジモリ氏です。今回のフジモリ罷免にいたる過程では、
シプリアーニは沈黙しています。
 オプス・デイがシプリアーニたちを媒介にして、フジモリ政権と強固な絆を築いていたことは明白です。
 さて、これからが推測です。
 フジモリ氏は日本で曾野綾子さんの別邸、ついで田園調布にある彼女の自宅に匿われています。
曾野さんは周知のように、日本の非常に保守的なカトリック教徒として、これまで政治的な発言を




次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch