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絶えず貪欲(どんよく)なまでに利潤機会を求めて拡張を続けようとする資本主義は、過度な競争の果てに、
社会そのものを深刻な不安定性の深淵(しんえん)に引きずり込むのではないか、と思われたのである。
社会主義の崩壊以降の真の問題は、資本主義の勝利を謳歌(おうか)することではなく、いかにして「無政府的な」
(つまり「グローバルな」)資本主義を制御するか、という点にこそあったのである。
グローバリズムは、経済の考え方を大きく変えた。戦後の先進国の経済は、製造業の技術革新による大量生産・大量消費に
支えられて発展してきた。賃金上昇が需要を喚起してさらなる大量生産を可能とし、一国の経済政策が景気を安定化したのである。
社会は中間層を生み出し、政治は安定した。明らかにマルクスの予言ははずれた。
しかし、80年代のアメリカの製造業の衰退は、資本主義経済の様相を大きく変えていった。国内での製造業の大量生産ではなく、
低賃金労働を求める海外進出によって、さらには金融・IT(情報技術)部門への産業構造の転換によって、資本と労働を
著しく流動化させ、そこに利潤機会を求めた。
≪「経済外的」な規制必要≫
その結果、90年代に入って、利潤の源泉は、低賃金労働や金融資本の生み出す投機へと向かった。要するに、製造業の
大量生産が生み出す「生産物」ではなく、生産物を生み出すはずの「生産要素」こそが利潤の源泉になっていったのである。
かくて、今日の経済は、確かに、マルクスが述べたような一種の搾取経済の様相を呈しているといってよい。
資本主義が不安定化するというマルクスの直感は間違っていたわけではない。しかしむろん、マルクスの理論や社会主義へ
の期待が正しかったわけでもない。マルクスに回帰してどうなるものでもないのである。
問題は、今日のグローバル経済のもつ矛盾と危機的な様相を直視することである。市場経済は、それなりに安定した社会が
あって初めて有効に機能する。そのために、労働や雇用の確保、貨幣供給の管理、さらには、医療や食糧、土地や住宅という
生活基盤の整備、資源の安定的確保が不可欠であり、それらは市場競争に委ねればよいというものではないのである。
続く