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・《私の中学では同和教育をしている。前の学校では、ひとかけらもこんな教育を受けたことがなかった》
これは、橋下徹が中学時代に書いた卒業文集の一節だ。他の生徒の多くが、「3年間の思い出」の
ような子供らしい内容に終始する中、橋下がつけたタイトルは「視野を広げる」。
東京から大阪に移り、2度目の引っ越し先となった大阪市東淀川区での生活は、橋下自身が
「僕の人格を作ってくれたところ」と振り返っているように、濃密な時間だった。中でも中学校で
学んだ人権教育は、思春期の橋下にとって「カルチャーショック」とも言える出来事だったようだ。
「なんで夕方の6時で部活を終わらせなあかんのですか。夏場なんか、まだ明るいやないですか」。
3年時にラグビー部のキャプテンを務めた橋下は、教室と同様、グラウンドでも雄弁さを発揮し、
学校側と正面からぶつかった。
背景には、地域が抱える複雑な事情があった。学力が低かったり、生活面に問題を抱えたりしている
生徒の指導のため、この学校では、教師が帰宅後の生徒の住む地域に出向く「訪問授業」を午後
7時から行っていたのである。府教委関係者によれば、それは同和対策事業の一環という側面も
あったという。
× × ×
「いろんな子供がおるんや。先生たちだって一生懸命なんや」。ラグビー部顧問の黒田光(48)は
必死でなだめたが、橋下は「なんで、ぼくらが犠牲にならなあかんのですか」としつこく食い下がり、
結局、午後6時半まで練習時間を延長させたという。
この経験が影響したのだろうか。橋下は文集に《まだまだ同和教育に反感をたくさんいだいている。
完全に納得できないのもたくさんある》と書く一方、複雑な思いも記している。
(>>2-10につづく)
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※元ニューススレ
・【政治】 橋下知事 「同和“優遇措置”は、差別を助長するもの。認められない」「最後は私が交渉の場に出てもかまわない」★3
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