08/07/25 22:13:00 x3UD6/OH0
>>187
国語学者でもなければ、そういう勉強を専門的にやった訳でもない俺が、
文法なんて持ち出したのが悪かったので、文法の件について俺のラスレス。
「きっと待ってる」と言いつつ、真意は「絶対待ってる」だよね。
「高確率で待ってる」とかじゃなく。
そう考えると、ここで「きっと」は変だ。
だけど、「きっと」って言葉は強い。「絶対」なんて嘘くさい言葉よりはるかに強い。
だから使ったのかなと。
「また会える日々を」は、ホントに「日々を」待ってるのだろうか?
学校卒業して、友達と別れて、また年がら年中顔合わせるような「日々」を望むって、
ちと奇異な望みだと思う。
やはり再会することを望んでいると言うのが真意だろう。
ではなぜまた会える「日々」を待っていると言っているのかといえば、
それまで一緒に過ごしてきた日々があるわけだ。
くだらないこと喋りまくって大笑いして、面倒ごとをともに抱え込んだりして、
おかしなニックネームで呼び合ったりした「日々」がある。
そうした過ぎ去った日々を懐かしむ心情をこめた結果が「日々」ではないかと。
というわけで、
真意と表現とのズレのことを指して、
文法を壊してでも言いたかったのだろうと言いますた。