08/07/15 08:16:48 0
毎年、8月が近づくと1995年の夏を思いだす。
あのころ、戦後50年企画記事の取材で戦没者遺族の家々を訪ね歩いていた。
行く先々で、特攻隊員や戦死した若者たちの手紙、遺書を読ませてもらった。
両親への思い、妻子への思い、祖国への思い、いろんな思いに交じって、
「大東亜建設のため」との言葉が目についた。
先の戦争で日本は「大東亜共栄圏」の建設を大義名分に掲げて戦った。
検閲があった当時、その言葉のすべてがすべて本心とはいえまい。
それでも「共栄圏建設」をスローガンに、数え切れない日本人-朝鮮半島や台湾などの出身者も含め-
がアジア太平洋地域で倒れたのは紛れもない事実である。
そして敗戦から60年。今度は「東アジア共同体」を建設すべく、
2005年にマレーシアで第1回東アジアサミットが開かれた。
取材をして違和感を覚えたのは、大東亜共栄圏の経験が全く触れられなかったことだ。
まるで存在しなかったように無視された。負の歴史を蒸し返されずにすんだ-と安堵(あんど)する日本の官僚たち。
だが、東アジアの繁栄を目指すという一点においては、東アジア共同体と同じではないのか。
東アジア繁栄の理想を掲げて亡くなった先人の存在は、日本のみならず域内の財産である。
日本政府は静かに、しかし毅然(きぜん)と主張すべきだ。耳を傾ける国は決して少なくないだろう。
4年間の東南アジア駐在を振り返り、強く思う。
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