08/07/12 16:02:47 OMvufPGs0
>>709
>国民が国会で認め、その後も裁判所でも問題とされなければ、
>規制はあっていいと言ってるだけ。
極端に言えば、国民の意見を体現する国会や、社会通念の代表者である裁判所よりも、
表現の自由は優越する。
なぜなら、表現の自由は、その意見や社会通念の形成を行ううえで、
社会の構成員が全ての意見を参照し、自由意志で自分の意見を発信できるという点にかかる権利だからだ。
>それが日本という国家の仕組みだよ。
君との議論は、単なる形式的な国家の仕組みと、かくあるべしという議論がしばしば混乱するから、整理しておく。
形式の上では、今、国民が熱狂的に独裁者を歓迎し、憲法の運行を停止することも可能だ。
現に、ヒトラーはそのようにしてヴァイマールに現れた。
しかし同時に、ヒトラーのような政権奪取を許してはならないという意見も、正当なものだ。
だから、二つの次元で僕の意見を言うなら、規制は「ありうる」という形式的な意見には賛成だが、
それは「してはならない」のであって、表現の自由は民主主義・自由主義の視点からすれば、
原則的に国会や裁判所の判断に優越するものだ。
>基本としてはわかるが、全ての表現の自由が無制限ではない。例外的規制はある。
>わいせつ物規制はあるが、その情報や自由な判断が阻害されるから
そういう意見を唱えているのが、奥平康弘であって、彼は日本の憲法学の権威の一人だ。
現状ではそうではない、という意見と、そうあるべき、という意見は同時に成立しうる。
さらに言えば、現状でも、わいせつ物裁判で示されたような表現物規制が、
実際に行われているわけではない。
175条は表現の自由の観点から、実施上は形骸化しており、他者の権限を明白に侵す表現以外は、
原則的に無制限になっている。
反対派は、その現状を維持せよと言っているだけであり、現実社会は今、反対派が言っているような形で運営されているし、
それでこれまで問題はなかったわけだ。