08/07/07 14:30:02 qtH74tBQ0
インダス文明の末裔はどこへ行ったのだろうか。現在確実に解っているのは、その一派が
インドのドラヴィタ語族。彼らはアーリア人に追われて南インドに住むことになった。次の
一派がユダヤ人。彼らは西に移動した民族である。
さてインダス文明だが、死者は北に頭を向けて埋葬される。副葬品は鏡、腕輪、足輪、勾玉、
鏡・・・・。もちろん土偶もある。日本の風俗に非常に似ている。南インドに住むドラヴィタ語
族の中のタミル族だが、彼らは稲作文化を持ち、注連縄、鳥居、正月風習、盆風習は日本と同じ。
もちろん墓は吉野ヶ里で発見された甕棺墓と同じだし、日本語と共通する単語が600語ある。
さて、彼らが何故日本へ来たかというと、ソロモン王の栄華を経たユダ国は、新バビロニアの
ユダヤ人迫害に遭遇した。このとき旧殖民の地のタミルの地へ逃げ、一部はユダヤの民とタミール
の民が合同して日本に逃げてきた。かなり大きな船でやってきたのだろう。日本では神武の東征が
たぶん彼らの軍団だったのだろう。
なお、日本ばかりでなく朝鮮半島南部に上陸した人々もいた。その人達の中にはインドのアユタ王国
出身者が多い。