08/07/04 22:39:57 NN4fjbQj0
他人の美質こそ羨ましい
エビちゃんOLの2ヴァージョンとも、ミソは最初に出てくる学歴なのであるが、ぼかしながら、実は特定がひとつしかできない。
それは「学歴」を語るふりをした「育ち」の披瀝なのだ。高校までをパリで過ごしたような人が入る四谷の大学は上智!
幼稚舎、なんてものがあるのは慶応義塾だけ!そしてこのふたつとも、主眼は「どこの大学を出たか」ではなく言外の
「どうやってそこの大学に入ったか」にある。キモは「上智大卒」ではなく「高校までをパリで過ごし帰国子女枠で」と
「慶応卒」ではなく「幼稚舎から」なのである。ブランド大学を出ただけではいけない。蛯原友里さんは、間違っても
公立中学公立高校を経て一浪ののち慶応義塾に入ったりはしない。それではいけない。女の観客に許してもらえない。
女には不思議な習性があって、なぜか、本人の努力以外のファクターが強く作用した美質を備えた同性に、より強い羨望を
感じる。たとえば生まれつき美人であるとか、富豪のおうちに生まれついた、とかである。本人の意思が芽生える前に
いい学校に入れられている、などはそれに準じ、むろんそれは「いい家」の間接証明である。そこに屈折もあったかも
しれないし、それなりの本人の努力も必要だったろう、が、こういうのは後から添付できないという意味では永遠の差別化
で、しかも「他力」なところがポイントである。
繰り返すが女がどうして他力の美質のほうにより大きな魅力を感じるかは、よくわからない。けれど女はだいたいそうである。
それが高じると、生まれ育ちがよくないとかそこそこでも、婚家がよければ威張れる、という面白い逆転現象まで起きる。
タレントのデヴィ夫人が生まれつきの上流階級のような顔をしていられるのもその不思議な特性が女に共有されているためである。
そういう人がいて、それを認める人がいる。つまりそこに、市場の原型ができているのだ。デヴィ夫人が叶姉妹を偽上流で
自分は上流と言う根拠は「婚姻」の二字で、言わなければわからないかもしれない出自コンプレックスをわざわざ開陳している
のだが。ともあれ、そこへいくと男はふつうに、評価するときには努力で成功した人を努力の分だけ尊ぶ。男の世界で、
「逆玉」はもちろん、「ボンボン」も蔑称である。(モテたい理由 赤坂真理より引用)