08/06/26 08:43:33 7+d3tXom0
【満州国建国を建国した毎日新聞】
たとえば東京朝日新聞ですが、十九日の論説委員会で、これは日露戦争以来の日本の大方針であり、
正当な権益の擁護の戦いであるということが確認され、二十日午前七時の号外は「奉天軍(中国軍)の計画的行動」という見出しで、
特派員の至急報を国民に伝えます。これはほかの新聞もほぼ同じで、つまり軍の発表そのものであったということです。
「十八日午前十時半、奉天郊外北大営の西北側に暴虐なる支那軍が満鉄線を爆破し、わが鉄道守備隊を襲撃したが、わが軍はこれに応戦した云々」
とあり、「明らかに支那側の計画的行動であることが明瞭となった」と書いています。よく読めば少しも「明瞭」ではないのですが、
これがそのまま大変な勢いで国民に伝わります。(p72)
当時の政治部記者、前芝確三という人が後にこんなふうに語っています。
「事変の起こったあと、社内で口の悪いのが自嘲的に”毎日新聞後援・関東軍主催・満州戦争”などといっていましたよ」
つまり、この戦争は毎日新聞が後援しているみたいなもんだというくらいに、報道の上で太鼓を叩いたんです。
現地に行く新聞記者、特派員も各新聞がエース、名文家を送り出して徹底的に書きまくりました。(p80-81)
BY「昭和史 1926-1945」半藤 一利 / 平凡社