08/06/25 12:27:43 Dt69PGYF0
(>>576>>620>>659>>702のつづき)
そのようなY氏を支えたのは普段から一緒に救命救急のトレーニングを積んできた地元消防署署員,
「兄の両親」,妹,日赤指導員の先輩・仲間,顔見知りの医師,事件後知り合った救急専門の医師達であった。
2006年10月,人間不信が続いていたY氏の考え方が大きく変わった出来事があった。
その日,地元の消防署員と居酒屋で飲んでいたときに,衝立の向こうにいた中年男性達が会話に割り込んで来た。
彼らは「自分は火事があったら見に行く。」「心臓マッサージがどんなものか見たくなる。」と言っていたが,
その一方で「(蘇生の)現場を見たくて写真を撮ったからあなたのことは覚えていないと思う。」
「その人たちだって病人が助かって良かったと思っているはず。」などと言っていた。
Y氏が忌避していた機内の野次馬と同世代で恐らくは同じ考え方を持っていた人たちが「助かって良かったと思っている。」
と言ったことで彼女の不信感が軽減して気が楽になったという。
その日を境に過呼吸症状はほとんど出なくなり,救命講習にも指導員として参加するようになった。
しかし2007年2月に1年ぶりに飛行機に乗った際には,事件のことを思い出してしまい1度だけ過呼吸が再発した。
2007年の4月時点でも講習時の心肺蘇生のデモンストレーションの際に立ったまま周りを囲まれることに恐怖心を
抱いているため,受講者には座ったままにしてもらい写真やビデオ撮影もしないように協力してもらっている。
(つづく)