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・産経新聞社では昔、ハトを飼っていた。入社してから、何人もの先輩にそう聞かされた。
屋上には鳩舎(きゅうしゃ)。ほんの数十年前、取材の現場でフィルムをハトにくくりつけ、
会社まで運ばせていたという。
その後、通信手段は著しく発展した。誰でも携帯電話で気軽に撮影し、写真を送信できる
時代。新聞社の伝書バトは、もはや都市伝説めいている。
東京・秋葉原の歩行者天国で起こった事件では、現場に居合わせた多くの人たちが、
携帯やカメラで写真を撮っていた。後日、彼らを無神経だと批難する声が報道された。
あの日、私も秋葉原に出かけるつもりだった。少し出発が遅れたおかげで事件に遭遇
することはなかったが、今でも考えてしまう。もしも、被害者になっていたら。もしも、
被害者を救護していたら。
そして、もしも、事件を遠巻きに眺める群衆の1人だったら。携帯か持ち歩いている
カメラで、私も写真を撮っていたはずだ。目前で起きていることを、とにかく記録しなければ
という強い気持ちにかられて。
実際、そうした人たちが撮影した画像は事件直後、マスコミに提供された。彼らを責める
ことは容易だが、その画像が、事件の貴重な証拠になった可能性も否定できない。
混乱をきわめたであろう、あの日、秋葉原で、誰がそれを判断できただろう?
驚くようなことに出合ったとき、私たちは親しい人に伝えようとする。一昔前なら、会って
話し、遠距離なら手紙や電話。携帯やネットの登場でコミュニケーションはさらに加速し、
広がった。個人が得た情報は、ブログなど、不特定多数に向けたメディアでも発信できる
ようになっている。
携帯やカメラでの撮影は、被害者や懸命に救護された方々の心情を思えば、決して
ほめられた行為ではないのかもしれない。しかし、多くは誰かを傷つける意図はなく、
日常的になりつつあるコミュニケーションの行為に過ぎないのではないだろうか。
私たちは、どこを視座に秋葉原の事件と向かい合えばよいのか。群衆の行為ひとつにしても、
あの日から悩み続けている。伝書バトの時代はもう、戻らないから。(猪谷千香)(一部略)
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