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≪米ウオールストリートジャーナル紙(共和党系)1994年8月22日付≫
「民主国家日本の有権者が、いつまでも無防備のままでいいと考えているのは誤りだ。
日本がどんな自衛策を講じるかによって、今後何十年ものアジア全体の安全保障の形が定まるであろう。(小略)
より恒久的な問題は中国で、中国が日本を戦略上の競争相手とみなすことは不可避だ。
日本がいつまでも受身で傍観すべきでないことは誰もが納得しょう。
他のアジア諸国は、日本の力が中国の野望の抑止力となり得るかどうかを熱心に見守っている。
日本が自国の軍事的安全保障を真剣に考えるなら、立派な役割を果たすことができる。
その場合の真の問題は、日本がどのような超大国になるべきかだ。日本が強大な軍事力を持ちつつ防衛的超大国になるなら、
それは日本にとってもアジアにとっても一番いいことであろう。その前に日本は第二次大戦ノイローゼという重荷を下ろすべきだ」。
つまり日本の軍事力増強こそが中共の野望を抑止すること、
それをアジア諸国が願い見守っており、そのために日本はまず自虐史観と決別するべきだと分析しているのだ。(小略)
これこそがまさに現代の大アジア主義であり、アジア全体に対する日本の責務である。
決して外務省の赤い官僚が主張するが如き、「中国への謝罪と償い」などがアジア主義ではなく、
また日中の連帯などという非現実的な幻想も現代のアジア主義ではない。