08/06/20 14:00:36 HKwrK15r0
モーリシャス島は深い森林につつまれ、木の実が豊富で、外敵もなく、ドードーの生存に
はこのうえもない安楽な環境であった。樹木の下にいれば食べ物は自然に上から落ちて
くる。空を飛ぶ必要がない。翼は次第に退化した。オランダ人が来たときにこの鳥は人間
に襲いかかり、それなりに攻撃的であった。けれども次第に森林の内部を追われ、百年
の後には、海岸の一角に追いつめれて生存し、やがて絶滅した。人間が直接手をかけた
からではないらしい。人間が持ちこんだ豚や羊が彼らの天敵になったためらしい。それも
直かに天敵が彼らを襲撃したためではないらしい。
ドードーは空を飛べない鳥になっていたので、排卵と孵化は安全な樹木の上でおこなわ
れずに、地上の草の上に露出されていた。外敵のない環境に、完全に無防備な生存形態
にまで退化していたのである。卵も雛も外から来た豚には恰好の餌食だった。
こうして、生態系の一角が崩れただけで、数百万年以上も安全かつ平和に暮らしていた
島の一生物があっという間に滅びてしまった。
日本もまた島国である。縄文以来、深い森林につつまれ、木の実が多く、水は豊富で、
争いも少なく、大動乱の時期はわずかに弥生期と戦国時代の二度しかない。個々人には
防衛意識もあり、外からの圧力にはそれなりに攻撃的なのだが、民族全体としては、組織
的警戒心に乏しい、完全に無防備な生存形態にまで退化してしまっていないか。空を飛
べなくなった鳥が迂闊に草の上に排卵し、雛を孵化するのと同じような、生態系を一変さ
せる陥し穴に、日本民族はすでに、誰も気づかぬうちに、思いもかけず填まってしまって
いるのではないか。
この広い地球上に民族の興亡の歴史は繰り返され、一民族の消滅ということも、決して
珍しくない。島国から人間が消えるのではない。住民は存続する。しかし人種混淆し、大陸
に呑みこまれ、日本という民族と民族文化がすっかり姿を消してしまうということは、歴史
の経験則から十分に起こり得ることなのである。
西尾幹二のインターネット日録(過去ログ 2002年11月18日)
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