08/06/13 23:42:05 8uQaReD30
加藤の行った行為は確かに非難されるかもしれない。
だが、加藤の行為が、人々の記録と記憶に残り、後世まで語り継がれる
ことになるのはは誰も否定できない事実だろう。
今回の事件で重要なのは、加藤の行為の「結果」より「動機」である。
加藤は、ある意味現代日本社会の抱える病理たる格差問題の犠牲者である。
言い換えると現代日本人は、誰しも第2、第3の加藤になりうる可能性があるのだ。
被害者及び遺族には確かに気の毒に思う。だが、被害者の中には重病であまり長く
生きられる可能性のなかった人もいるやに聞く。乱暴な言い方かもしれないが、
死期が少し早まっただけということかもしれない。そして、人は誰しも死ぬのである。
加藤を現代の価値観だけで責めてはならない。後世の歴史家から、加藤は現代社会のゆがみに
楔を打ち込んだ「烈士」として評価を受けることになるかもしれない。
ひとつだけ、確かなことがある。「加藤智大」。我々はこの名前を聞くたびに怒り・恐怖・そして
畏敬の念を抱くことになろう。我々の大部分は一生かかってもで加藤ほどの社会に対するインパクトを
与えることが出来ずに死んで、忘却されていく。しかし、加藤は違う。
もう一度言う。「加藤智大」。我々は彼の名を語り継ぐであろう。