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■4.ドイツ社会の受けた傷
ドイツ社会が労働移民政策によって受けた傷も深い。
まず60年代から入り始めた安価な外国人労働力に依存したことにより、
企業が人手不足解消や生産性向上のための技術革新に取り組まなくなった。
同じ時期に、日本企業は深刻な人手不足に悩まされていたが、
積極的な自動化投資によって乗り切り、かえって強い国際競争力を身につけていった。
西ドイツの企業がハイテク競争において大きな遅れをとったのは
これが原因だとされている。
教育現場にも大きな混乱が起こった。クラスの中で外国人生徒が3分の1を超えると
クラスは「ひっくり返る」(Kippen)と言われている。
言葉のハンディキャップと文化や宗教の違いがクラス一体の授業をほとんど不可能にする。
人種起因の犯罪増加も社会を殺伐とした雰囲気にしていく。
さらに若年労働者の流入による高齢化社会への歯止め効果も
一時的なものだということが明らかとなった。
まず大量のトルコ人労働者が流入してきた70年代以降、西ドイツの出生率が急激に下がった。
肉体労働を外人労働者に任せ、より安楽な生活への志向が強まるにつれて、
子供を産み育てる情熱も弱まっていった。
そして外国人労働者の出生率そのものも、ドイツ社会への定住が進むと急速に下降していった。
結局、高齢化、少子化の流れは変わらず、
ドイツは高齢化した外国人労働者の福祉問題をも抱え込んだのである。
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