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家庭内暴力猿人・井上ひさしの破廉恥な告白と自己正当化の論理(文春文庫1984年刊『巷談辞典』pp.309-310「動物愛護」より)
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動物を可愛がっておいでの皆さんからは叱られるかもしれないが、子どもの時分からずいぶん犬や猫を苛めてきた。
(略)たとえば小学五年のとき、近所の猫を煮干し用雑魚(じゃこ)でおびきよせ、とっ捕えてやつの鼻の穴にわさびの塊を
押し込んだことがある。例(くだん)の猫はぎゃっ! と名状すべからざる悲鳴をあげて三十糎もとびあがり、次の瞬間、
時速百キロは優にあろうかと思われる速度で走り出し、そのまま行方不明になってしまった。
また小学六年のとき、柔道を習い始めたが、あるとき、この柔道の教師が、「猫はどんな高いところから跳びおりても、
ぴたりと四つ足をついて着地するが、姿三四郎はこの猫の着地法を見て独得の受身術を編み出した」
と、話すのを聞き、友だちと猫の着地術を研究したことがある。やはり近所の猫を雑魚でおびきよせて捕え、火の見櫓の
天辺から落したのだ。猫はにゃんともいわずに即死した。(略)火の見櫓の高さは三十米はたっぷりあった。妖怪変化と
仙人と鳥類以外は、これはだれでも即死する高さである。
高校時代、日向ぼっこをしていた猫にガソリンをかけ、マッチで火をつけたことがある。猫はあっという間に火の玉と
燃えあがり、ひかり号なみの速度で西に向って走り出し、これまた行方不明となった。まだ達者ならとっくに地球を一周して
戻ってきていいころであるが、それ以後、彼の姿にはとんとお目にかからぬ。おそらくどこかで野垂れ死にしたのであろう。
それにしても、わたしはなぜこのように猫に辛く当ったのだろうか。(略)動物愛護家には人間を愛することのできない人が
多いような気がする。あの人たちは自分と同じ種族である人間が飢えているのを見すごすことはできても、自分の傍にいる
犬猫が飢えているのは黙視できないのではないか。(略)わたしたちの動物虐待は、屁理屈をつければ、そういう人たちの
<動物愛護精神>にたいする無意識のからかいだったのだ。
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