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「教育」処分の一例
彭徳懐
晩年は悲惨極まるもので、批判闘争会における紅衛兵からの暴行で
肋骨を2本折られ後遺症で下半身不随となった。
その後、江青の医療服従専案の監督下に置かれ癌による死の床では
鎮痛剤の注射を拒否され、下血と血便にまみれた状態のままのベッドとシーツに
何日も放置された。
監禁病室で全ての窓を新聞紙に覆われたまま約8年間を過ごし、
死の直前に窓を開けて最後に空を一目見せてほしいと嘆願したが
これも拒否されるなど、拷問に近いものであった。
遺体の名札には「王川・四川成都出身・無職」と無関係な名前に変更されていた。
同じく迫害死された劉少奇や陶鋳同様「病死」と公式発表された。
・・・流行りの蟹光線なんて子供の遊びだねえ。