08/05/28 19:33:42 0
(>>1のつづき)
「ねじれてしまいますね。生きていてほしくないけど、死刑はその人の望みをかなえてしまう
ことになる。刑罰って何だ、罪と罰とは何か、ということを考えた方がいい。日本の刑法は、
刑を受けて、改悛して、改めて社会に復帰する、ということを前提にした教育刑です。
それに対して、死刑は応報刑なんです。応報という考えからすると、本人の嫌がることを
するのが刑罰。死を望む人に対しては、生かすことの方が、たぶん罰になるわけです」
死刑を求めて罪を犯し、罰として望み通りに死刑になった典型的な例が、大阪教育大付属
池田小乱入殺傷事件で、児童8人を刺殺した宅間守元死刑囚。弁護にあたった戸谷茂樹
弁護士によると、宅間元死刑囚は犯行前2~3カ月の間に2度、自殺未遂をしている。
そして、判決確定から1年弱という異例の早さで望み通りに死刑を執行された。戸谷弁護士は
死刑の執行を聞いたとき「本望を遂げたな」と思ったという。
「彼は、本当に死刑になりたくて犯罪を実行した、と言っていいと思います。彼にとって
死刑は、罰ではなかった。望んでいる人に対する死刑は、罰としては機能しない」
戸谷弁護士は続けた。
「(『死刑になりたかった』と供述する)犯罪は、自殺願望の裏返しである場合が結構あると
思う。自殺願望の原因はいろいろですけど、いずれにしろ、生きる価値がない、と結論を
出した。そういう人が年間3万人いる。その中に、死刑を望んで罪を犯す人がいても
おかしくない。それを避けるためには、どうやって生きる望みを味わうことができる社会に
するか、っていうことだと思うんです。宅間に対する支援者がたくさん出てきたのは、
『私もかつて同じような状況だった』とか、彼の思いや行動が理解できる人が相当数いた
からです。世の中複雑になればなるほど、格差社会になればなるほど、そういう人が出てくる」
(>>3-10につづく)