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日本の唱歌 上 明治編
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君が代 2/3
ところで今の曲は、はじめは、フェントンが委嘱されて譜をつけたものだった。が、フェントンは
日本語の意味も分からず、旋律だけを譜に書き、こんなところで歌ってみたら、と言ったものだ
ったので、日本人が歌ってもさっぱりピンと来ない。さきに、フェントンのところで音楽を勉強して
いた者で、最初の日本の海軍軍楽隊隊長になった中村裕庸は、そこで曲の改作を熱心に主張
し、これまた『保育唱歌』などを作っていた宮内庁雅楽課に改作を依頼した。
この時雅楽課には、奥好義(おく よしいさ)、辻則承(つじ のりすけ)、上真行(うえ さねみち)
といったのが若いホープで、これが夜遅くまで曲を考え、明治十三年秋に至って三人三様の
曲が出来た。そうしてそれを当時学長の職にいた林広守のもとに提出した。広守がこれを審査し
た結果、奥の曲を第一と認めて、これに二、三手を加え、林広守撰曲として公表したものが、
今の曲であるという。もっともこうして出来上がった曲も、外務省で海外諸国に対して発表しただ
けで、文部省で直ぐに国民に向かって公表したものではなかった。明治十四年の『小学唱歌集』
などには、これと全く違った「君が代」の譜が乗っている。