08/05/17 23:27:11 G4PJxvR+0
>>287
そう言ってやるな。あれはそんなに軽い間違いみたいな話ではない。
1980年初頭、東西冷戦構造下の日本政府は「西側に全面協力するか、距離をおいて沈むか」
の選択を迫られた。西側はもちろん西欧米を中心とする「彼ら」であり、オイルショック以来西側
協調路線にやや距離を置きつつあった日本に対する究極の選択の意味合いがあった。
1982年に発行された500円硬貨の発行をもって、日本の通貨は「1・5・10・50・100・500円」の
6種類となった。全ての硬貨の額面を足し合わせると「666円」となる。すなわち、これは、日本政府が
「彼ら」に対して出した回答(行政レベルでの完全西側追従の決断)であり、その回答に満足した
「彼ら」は、それへのお礼として、10年に及ぶ好景気を演出してみせた。
1990年代に入って冷戦構造が消滅し、日本に対してアメを与える必要がなくなった時点で「彼ら」は
一気に資金を引き揚げ、バブルの「崩壊を演出」した。これに対し日本政府は、「彼ら」に振り回され
ぬような方法を模索するも、失敗、経済は崩壊の危機に立たされ、ふたたび「彼ら」の軍門に下る
ことを伝えた。その際、相手側は「証文」を要求、日本政府は、今度は金融分野での全面協力の
証文として「2000円札の発行」を決定した。
ここでまた計算してみよう。日本銀行券は「1000・5000・10000円」であったが、ここに新たに発行
した2000円を足してみよう。額面は「18000円」となる。これは、「18x千円」となる。18という数値は
「6+6+6=18」すなわち「666」。経済面でも完全に追従するというメッセージを送ったのだ。これで
日本経済は再び息を吹き返し、戦後最長の「いざなぎ景気」を超える景気拡大を実現した。
しかし発行された札のデザインを見ると、沖縄の守礼門と源氏物語のキャラクターだった。1984年に
発行された1000・5000・10000円札に採用されていた人物は、近・現代の「彼らの組織」と関係の深い
人物であったが、2000円札では全く無関係のデザインであった。これを「日本政府による一部の抵抗」
を意味するものと取った「彼ら」は、経済、イメージ、心理・物理的戦略、あらゆる手段を用いてこれの
普及を妨害した。その結果、2000円札は全く普及しなかった。
という経緯があるんだから。