08/05/13 03:56:08 mhw78hpu0
>>919
>判断の基礎になる常識に合わせて知性も時代によって変移する。
>「知性」という絶対的な物がある訳じゃないし、
>知識があるから知性が得られる訳でもない。
>
だから「知性」とはあくまでも知識を使いこなす能力だと述べておろうが。
そしてどの様な時代のどの様な社会のどの様な価値観であれ、その時々の常識を使いこなせなければ「知性」は得られない。
>例えば「人を殺す事」の行動原理、善悪一つとっても
>「人を殺す事」の真理は一つじゃない。
>そこに真理があるとしたら「人を殺したら人が死ぬ」であって
>そこで判断される物は時代によって、立ち位置によって変わる。
>
殺人に対する善悪の判断などは、真理ではなく時代や環境によって異なる社会的観念の話だ。
「殺されると苦痛である」という命題でさえ、殺されて快感を得る人もいる以上、真理ではない。
でも例えば「人を殺したら人が死ぬ」などは、それは立ち位置によって異なる類の物では無い。
普遍的な真理とはそういう法則性の事だ。
>人類永遠、普遍に「人殺しが絶対的に良くない」訳じゃない。
>それは現在でも同じ。真理は知性や知識で判断できる物ではない。
>
だからそれは社会的観念の話であって、真理とは異なる。
貴方は真理をあまりに瑣末な物と考えているのではないかな?
>円錐は横から見たら凶暴だが、上から見たら穏やかだろ。
>そのどちらも真理だし、正確ではないから真理ではないとも言える。
>
それは「凶暴」だの「穏やか」などは、物の形状を表す表現としては極めて主観的な曖昧な言葉だからだ。
しかもそれは個々の観念の世界の話であって、普遍的な真理ではない。
「円錐は横から見たら三角であるが、上から見たら円である」などと言い換えるなら、普遍的な真理だと言える。