08/05/13 02:49:02 mhw78hpu0
>>871
誰も「余計な知識が必要」とは一言も言っていないが?
情報は取捨選択し、知性を以て情報を活用して智恵を磨けと申しているまで。
そして直近の歴史・隣国の情報如きは、現在文明の中で生きるなら「必要な情報」だという事。
>日常、何を以て余計か?を判断するのは人それぞれ。
その通りだが、政治・経済・文化において世界中の国々と密接に繋がり合っている現代社会において「必要な情報」は多岐に渡る。
>今の日本人は江戸時代の一生分の情報を1日で得てる。
>メリケンに至っては新聞1部でしかない。
それこそ「人それぞれ」であって一概にそうだとは言い切れまい。
江戸時代に於いても各々で知識量は大きく異なるのだから、単純に比較出来まい。
単純な暮らしをしていたとされる江戸期の農民でさえ、現代とはまた異なる情報を日々得ていたとみるべきだし。
>情報は「知っている事」が全てではないし、知らない事を馬鹿にする物でもない。
だから知性や智恵は知識以上に重要な物だと話しただろうが。
>円錐を上から見た人と横から見た人で見識が違う様に
>真理とは立ち位置で変わる物だし、定型・普遍、一意の物ではない。
しかし真理は一つ。
最初は立ち位置が異なっても、触れるたびに互いに同じ物を感じている事に気付く。
そもそも普遍的な法則性を真理と呼んでいるのだから、「真理は定型・普遍、一意の物ではない」という貴方の考えは無知に他ならない。
それはそれこそ貴方が一つの立ち位置でしか物を見ていない証拠でしかない。
>知識は己の生活に密着した物こそ生きる。先人の知恵は全部そう。
>偏った知識は机上の空論、下手な考え休むに似たりだよ。
その通り。
だから>>1のように生活の一部として「海外のスパイ映画を楽しむ」という目的が有る場合、
「ソ連」だの「ナチス」だのという単語の知識は必要条件とされる、つまり貴方のいう「己の生活に密着した、生きた知識」という事になる。