08/05/01 03:05:18 0
(>>8のつづき)
と同時に、「聖火」が巡回した世界各地で、これまでのチベット蜂起の犠牲者120万人を
追悼するキャンドル集会が開催され、篝火のようなキャンドルの炎が世界をリレーされて行った。
日本ではギリギリのところで善光寺がリレーをボイコットした。リレーのスタート地点が名刹になって
いたのは、今回の聖火リレーがいかに政治的だったかということだ。
「スポーツと政治は別」という意見が、これまで過去の五輪の多くを政治的理由でボイコットし続けた
国から出てくるのは出来の悪い笑い話だ。東京五輪にあわせて核実験を行った中国と現在の中国は、
一体、いつ違う国になったのだろうか? 北京五輪の聖火リレーが政治的なものに変質してしまった
理由は、このパラドックスの中にある。
チベットに関心を向け始めた日本人は、3月中旬以降、主に海外メディアから情報を入手した。
「何か」の存在に多くの人が気づき始めていた。北京在住のある新聞記者のブログにも多くの
アクセスが殺到した。
しかし、4月26日に<現実> を目の当たりにした長野市民も、「何か」の存在に気づいたはずだ。
大きな赤い国旗でチベット支持者の姿を隠し、その旗の陰で暴力を繰り返す。絶えず数人の
グループ単位で行動し、日本人と言い合いになると必ずグループリーダーが対応する。コースに
沿って長く配列し視覚効果を高める。このような組織的な行動は、3年前に北京、上海で発生した
統制された反日デモと共通点がないか。
そして、何よりも中国人の行動にできるだけ制限を加えないようにしたばかりか、目の前の
中国人の傷害事件を無視する警察の対応と、そういう実情を一切報じられない日本メディアの
「何か」への不信感が、今後漣(さざなみ)のように日本中に波及していくだろう。
4月30日に発売される「チベット大虐殺の真実」というムックの座談会で、私は「4月26日の
長野市は戦後日本にとって歴史的な日になるかもしれません」と言ったのだが、どうやらその
予告は的中したようだ。もう1つの「聖火リレー」は日本にも確実に訪れてくれた。(以上、抜粋)