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(略)08年夏季五輪の開催地に北京が選出されたのは2001年7月13日、モスクワ
の世界貿易センターで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会でのことだった。
当時、モスクワ特派員としてこの模様を取材したが、中国から送り込まれていた多くの
政府や五輪招致の関係者、報道陣らは歓声を挙げて小躍りしていた。
当時から、北京五輪への課題として人権問題が指摘されていた。IOCのカラード事務
総長(当時)も「7年後の開催までに改善されることを切に望んでいる」と語っていた。香
港から来たジャーナリストにこのことをただすと、「日本の負け惜しみだ」と逆ねじを食らわ
されたが、欧米や日本など自由と民主主義という価値観を共有する国々の多くが、IOC
の見切り発車的決定を憂えていたのは事実だ。
やはり、中国を変えるには7年の歳月は短すぎたようだ。チベット人の自由を武力で蹂
躙(じゆうりん)し続ける国に対し、欧州などから糾弾する動きが出てくるのは当然だ。
欧州の一部が北京五輪開会式ボイコットをちらつかせているのも「平和の祭典」にふさ
わしくないからだ。
しかし、日本の政府、与野党から中国を厳しく非難する声は上がってこない。福田首
相も相変わらず融和的で、「中国の理解者」然とした発言に終始している。5月6日に
来日する胡錦濤国家主席を笑顔で日本に迎えたいからなのか。チベット人の悲劇に
目をつぶろうとする日本の姿勢は、国際社会での日本の地位を毀損(きそん)する。(以下略)
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