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日本はミラノになりたいのか?
4月12日の朝のことでした、ミラノの街の一画で、10枚ほどの赤い旗が風にはためき、
道路には100人ほどの中国系の人々が、警察と闘いを繰広げていました。
いつもと同じ朝のはずなのに、道の真ん中では車がひっくり返っており、こん棒と盾を装備した警察隊がそこに居ました。
まるで、イタリアに対しての、いやミラノに対する民衆の蜂起が起こっているかのような混沌が、そこにありました。
10年前まで、ミラノ市民は中国系の人々を快く受け入れていました。
その後、中国からの荒々しいまでの移民がありました。かれらは100人、1000人と大挙して、
それぞれに兄弟姉妹や、あらゆる「親戚」を連れて到着しました。
こうするうちに、ミラノにおける中国語は、イタリア語の次に多く使われる言語となっていました。
金銭を生み出すあらゆる現場には、連盟や結社ができるものです。お互いの有利を計り、守りあう仲間ですね。
中国系移民の中小企業も結束しました。まもなく多くのイタリア人が、彼らを「上海マフィア」と呼ぶようになりました。