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吉田 清治(よしだ せいじ、1913年10月15日 - )本名は吉田雄兎。
1977年、『朝鮮-人慰安婦と日本人』を新人物往来社から出版。その中で、
第二次世界大戦中に日本軍人が朝鮮の女性を強制連行し慰安婦にしたと証言。
1982年には第一次樺太朝鮮-人裁判で朝鮮-人の奴隷狩りを証言。1983年、
いわゆる従軍慰安婦問題の発端となった「私の戦争犯罪」を上梓した。
その後も朝日新聞・しんぶん赤旗(日本共産党の機関紙)などで自身の「戦争犯罪」
の告白を展開。韓国にも赴き、講演と謝罪を繰り返した。
結果 「済州新聞」(1989年8月14日付)
解放44周年を迎え、日帝時代に済州島の女性を慰安婦として205名徴用していたとの
記録が刊行され、大きな衝撃を与えている。(略)
しかし、この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で15~16人を強制徴用したり、
法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を裏づけ証言する人はほとんどいない。
島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信ぴょう性に対して強い疑問を
投げかけている。
城山里の住民のち-ょん・たんさん(85歳の女性)は「そんなことはなかった。
250余の家しかないこの村で、15人も徴用したすれば大事件であるが、当時そんな
事実はなかった」と語った。
郷土史学者の金奉玉氏は「(略)83年に原本(私の戦争犯罪…)が出た時何年かの
間追跡調査した結果、事実無根の部分もあった。むしろ日本人の悪徳ぶりを示す
道徳性の欠けた本で、軽薄な商魂が加味されていると思われる」と憤慨した。
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