08/04/23 18:15:12 djXHvKwU0
>>634
9年間云々じゃなく、本村さんは事件直後からこの主張なのだが?
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本村洋を最初に見たのも「ニュースステーション」だった。
記憶が不確かだが、99年の一審の求刑が出たときだっただろうか。
事件の残忍性も衝撃だったけれど、彼が生放送のスタジオで発した言葉が鮮烈で、私の心の奥深いところに届き、彼に対して尊敬の念を抱いた。
私が若い人間に尊敬の感情を覚えることは滅多にないが、この男は何と偉大だろうと胸を打たれた。
当時23歳。簡単に言うと、彼がスタジオで言ったのは、「もし犯人が死刑にならずに刑務所から出てくれば、私が自分の手で殺す」という殺人予告だった。
結論だけ聞けば過激で異様な報復宣言だが、それを論理的に説明する彼の弁舌が実に見事で、秀逸で、久米宏と一緒にずっと息を詰めて聞き入った。
録画できなかったことを後悔しているが、忘れてはいない。
それはまさに刑罰論であり、刑法総論の序章をなす法哲学の開陳だった。
例えば国立大学の法学部の二年生が履修する刑法Ⅰの講義の冒頭で聴かせてやりたいような彫琢された美しい議論だった。
死刑は廃止してはならない。
死刑の意味は、殺人の罪を犯した人間が、罪と向き合い、犯行を悔い、心から反省をして、許されれば残りの人生を贖罪と社会貢献に捧げようと決心して、そこまで純粋で真面目な人間に生まれ変わったのに、
その生まれ変わった人間の命を社会が残酷に奪い取る、その非業さと残酷さを思い知ることで、等価だという真実の裏返しで、初めて奪われた人の命の重さと尊さを知る、人の命の尊厳を社会が知る、そこに死刑の意義があるのだ、とそのように言っていた。
私はテレビの前で感動し、またそれを23歳の若さで、あれほどの悲しみと不幸と混乱の中で、毅然と整然と説得的な論理に纏めて言葉にできた本村洋に強い尊敬の念を抱いた。
そして彼の復讐論に感銘を受け、彼の意志と信念を強く支持する気分になった。
心を揺り動かされた。それから七年が過ぎ、事件は最高裁判決の手前まで来たが、さらに様々な問題の膨らみを抱え、予想せぬほどの過酷な試練を本村洋に与え、今日に至っている。