08/04/22 13:52:19 vtLQlM0Y0
>>417 [食人文化があったっていうなら、ソースを出してみろ]
太閤秀吉による1580年の鳥取と三木の城攻めの際、
籠城勢は、穀物が尽き、馬や牛の肉に頼らざるを得なくなった。
しかしそれも尽きたので、しかたなく死者の肉をくらい始めたのだが、その際、親族の肉を他人に回さないように非常に気を使った。
そこで現れたのは、兄弟の肉、父の肉を食って命をつなぐ人々の筆舌に尽くしがたい光景であった。
(『群書類従』合戦部 豊鑑) URLリンク(d.hatena.ne.jp)