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「再現 南京戦」 東中野 修道【著】
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この紫禁山付近での激戦に於いては次のことを特記しておかなければならない。それは、
先の降伏勧告文にある様に、日本軍が如何に文化財の保護に努めようとしていたかである。
紫禁山の中腹には中山陵があった。また明孝陵もあった。日本軍はそれらを毀損しないよう
砲撃や重火器の射撃を控えていた。そのため、それらの建物を盾にして戦う中国軍に、砲撃
する事も出来ず、日本軍は小銃と機関銃のみの戦闘を強いられ、非常な苦戦に陥った。
序でに言えば、梁の武帝が五世紀に建立した紫禁山山麓の霊谷寺五重塔には、中国軍の
観測所があったが、そこからも迫撃砲の集中射撃を受けたため、京都九連隊第一大隊は砲
撃を望んだ。しかし第一大隊副官であった六車政次郎少尉は、
「青柳由郎大隊長は、歴史的な遺産だから破壊してはならぬと、頑として射撃を許可しなかった」
(『南京戦史』P.98)
と証言している。実際、このように文化遺産が保護されたことは、パラマウント映画のカメラマン、
アーサー・メンケン氏が、中山陵は日本軍の報道するように「無傷のままだ」と認めたAP通信
の記事が、1937年12月17日の「ワシントン・ポスト」に出たことからも明らかであった。