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・五輪を開くことは、開催国のありのままの姿が世界にさらされ、試されることでもある。
選手団や数百万人もの観光客を受け入れる十分な態勢があるのか。その国の都市づくりや
社会のあり方にまで目が向けられる。そこには当然、人権や民族問題も含まれる。
北京五輪の開催を盛り上げる聖火リレーに対する妨害が、激しさを増している。
中国のチベット政策に抗議し、世界に訴えようというのである。
抗議行動にはチベット人や人権団体が目立ったが、応援する市民の姿もあった。
欧州には移民や難民のチベット人もいて、英国のように歴史的にかかわりの深い国もある。
人権問題に敏感なことに加え、そうしたことがチベットに関心を向ける理由となっているのだろう。
チベット政策が国際社会でどう受け止められているのか。中国は「ダライ・ラマ派の策動」
と切って捨てるのではなく、現実に向かい合うべきだ。
中国はスポーツの祭典は政治と切り離すべきだといいたいだろうが、現実にはそうはいかない。
そもそも聖火リレーは1936年のベルリン五輪から始まった。ナチスの宣伝だった面は
否めない。五輪の開催だけでなく、世界を回る聖火リレーにも開催国の威信がかかっている。
各国は大がかりな警備の態勢を整える一方で、フランスでは聖火の周辺にローラースケート隊を
配備するなどソフトな演出を試みた。暴力は許さないが、聖火を守るのと同じように言論の自由も
尊重する、というメッセージだろう。
心配なのは、中国国内の反応である。聖火リレーへの妨害が報じられるたびに、反発が
広がっているようだ。妨害行動を沿道の各国が放置しているような印象を与えれば、中国人の
ナショナリズムをあおることにもなりかねない。
五輪は政治とは切り離せないが、成功させるためには、政治に引きずり回されないようにする
知恵が必要だ。それは開催国にも国際社会にも求められている。
聖火はこれから北南米、アフリカ、中東、オーストラリアを経て、日本にも回ってくる。
聖火をどのように迎えるか、ひとごとではない。(一部略)
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