08/04/03 21:55:16 +TwW7m8a0
ハウスホーファーやその他の「ヴリル協会」のメンバーの後押しにより、ナチスは何度もチベットに
調査団を派遣することになる。1926年から1942年まで毎年派遣された調査団は、チベットの
僧侶に接触し、深い関係を築きあげていった。1926年頃には、ベルリンとミュンヘンにちょっと
した「チベット人区」ができあがっていた。1929年には、チベットの海外本部がドイツに設立され、
ベルリン、ニュルンベルク、ミュンヘンに支部が開かれた。
だが、チベットはナチスに全面的に協力したわけではなかった。ナチスに協力してくれたのはチベットの
一派だけで、彼らはドイツでは「緑の男の会」として知られた。これは数百年におよぶ日本の「緑龍会」
との強いつながりから来ていたという。
ベルリンでは、ヒトラーは「青衣の魔術師」とも「緑の手袋をした男」とも呼ばれるチベット教団の指導者と
定期的に会っていた。透視力と予知力に定評のある僧侶で、新聞紙上でドイツ議会で選出されるナチスの
代表議員を三たび正確に予言した。更にヒトラーがドイツの指導者になる正確な日付ばかりか、第二次世界大戦
が始まる日付まで予言した。
この正確な予言がオカルトに興味を抱くナチ党員の間でたちまち広い関心を呼び、ヒトラー同様ヒムラーもまた
チベットのラマ教に強い関心を抱くようになった。そしてベルリンにオカルト訓練カレッジを開設して、SSの
幹部に特に魔術課程をとるように命じたのであった。
なお、「緑龍会」とは、ハウスホーファーが日本駐在の武官時代に入会した秘密結社である。