08/03/26 23:16:50 YDI6NQAJ0
旧日本軍も中共も許せん
世界2005.7 「戦争で死ぬということ」
フィリピンという異国で、日本軍の将兵約五十万人が戦闘と病気と栄養失調で死んでいった。
それ以外に民間の残留邦人も多く死んだ。
フィリピン人の犠牲はさらに多く、フィリピン政府の発表によれば、住民への虐殺を含めて
(マニラ市内における虐殺、ルソン島リパにおける虐殺などが知られている)、
日本占領期の死傷者は約百万人にのぼる。
降服した日本の将兵と在留邦人は各地の捕虜収容所へ送られた。
そのとき,フィリピンの民衆は怒りを爆発させた。
帰国の時期になっても日本兵を乗せた汽車が小さい町にはいると、沿線で黒山になった住民が
石を投げて来る「パタイ(死ね)」という叫びが聞こえる。
護衛の米兵が威嚇しても住民は投石をやめない。
さらに米兵は空砲を撃ったが、それでも
住民は投石をやめなかった。
・・・・・・<中略>・・・・・・・
日本軍の全員が残虐行為をしたわけではない。
しかし、「反日」への処刑を続けた日本に対し、フィリピン民衆の反日感情はすさまじかった。
投石と怒号・・・・・・・。
いまも時折アジアの人々の間から間歇泉のように吹き上げ、そのたびに戦争を知らない世代を
仰天させる「反日感情」というマグマの源流は、紛れもなく、六十年前に終わった戦争の中にある。