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太平洋戦争の開戦前、経済封鎖された日本国に対し、
チベット政府から大量の羊毛が送られてた
来ました。その理由はただ、
「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」
でした。
戦争突入後、チベットは一貫して中立を守り、日本との
国交は変わらず続けられていました。当時の日中戦線において、
中国はアメリカから武器弾薬等をビルマ経由で輸入していましたが、
このルートが日本軍によって絶たれた後、連合軍側はヒマラヤ越えの
チベット・ルートを開こうとしました。しかし、先代のダライ・ラマ13世は
あくまでも中立を貫き、アメリカ大統領特使の強硬な
要求にも断じて応じませんでした。
このあまりにも理想主義的な外交が、やがてチベット国に
悲劇をもたらす結果となりました。
1945年8月15日・・・日本の敗戦です。
日本との国交を継続していたチベットは、なんと国際舞台で
「敗戦国扱い」をされるようになってしまいました。
その後、戦勝国によって「国連常任理事国」が結成され、
中国もそのメンバーになりました。これが更なる悲劇の幕開けでした。