08/03/16 17:13:16 QE2/XtWS0
1860年。日本人は自国の船で初めて太平洋を横断し、アメリカに到着しました。
この船に乗っていたのが勝海舟と福沢諭吉です。
勝海舟は幕府の役人でした。福沢諭吉は無名の学生でした。
福沢諭吉は「アメリカが見たい!」と願い、無理矢理、船に乗り込んだのです。
その航海で、福沢諭吉は勝海舟の卑怯な人格を目撃しました。
航海の責任者は木村という男でした。しかし船には必ず「艦長」という役職がある事を
知った勝海舟は、「俺が艦長だ!」と叫び、勝手に就任しました。「自称・艦長」です。
木村は「航海は日本人だけでは心配だから、アメリカ人にも協力してもらおう」と
考えていました。しかし、「自称・艦長」の勝海舟は「あんな簡単な事は日本人だけで
出来る!アメリカ人なんか要らない!」と反対しました。
結局、木村の決断で、アメリカ人のクルーが同船しました。
自称艦長の勝海舟は38日の航海で、34日は船酔いで船室に篭っていました。
そしてアメリカ人は大活躍でした。木村の判断が正しかったのです。
遂に勝海舟は「俺はもう日本に帰る!ボートを降ろせ!」と太平洋の真ん中で泣き
叫ぶようになりました。それなのに、サンフランシスコに着くと、急に元気になり、
「俺の家の紋章を船の旗として掲げる!」と言い出しました。
しかしアメリカ人に「非常識だ!」と咎められました。
これを聞いた日本人は喜んで、勝海舟が持参した「紋章の旗」を焼いてしまいました。
船内の全ての人に嫌われていたのが勝海舟でした。
福沢諭吉は、死ぬまで勝海舟を嫌っていました。