08/02/26 00:43:30 FbdglIwv0
>>521
トルコはクルド人を「山岳トルコ人」と呼び,「クルド問題は存在しない」という立場
> オスマン帝国は1920年のセーブル条約で中東・欧州などの広大な領土を失ったが,この条約には,トルコ領内,東アナトリアの一部にクルド人の自治権を認めるクルド条項も盛り込まれていた.
> だが,クルド条項は結局,発効しなかった.
> ケマル・アタチュルクはセーブル条約破棄のための武力闘争を呼びかけ,1920年のトルコ大国民会議で新生トルコ民族国家誕生を宣言,対ギリシャ戦争(1921-22)でトルコを勝利に導く.
> と同時に,スルタン制の廃止により,約600年に及ぶオスマン帝国の支配に終止符を打ち,連合国側にセーブル条約破棄を了承させた.
> その結果,1923年のローザンヌ条約でトルコは一部の領土を回復し,セーブル条約のクルド条項の空文化にも成功.
> これに不満を持ったクルド人が1925年に反乱を起こすや,アタチュルクは直ちに反乱指導者を処刑し,幾つかのクルド部族を根こそぎトルコ国内に強制移住させる.
> 同じ頃,イラン領内でもクルド人は反乱を起こしたが,近代装備のイラン軍によって直ちに鎮圧さる.
> さらにイラン,トルコ・イラクの3国は1937年,3国の国家体制を脅かす組織(クルド人)などは,緊密な協力により断固排除する,という条約を締結.
> クルド人を共通の潜在的驚異と見なす3国の基本的立場は,この条約以来変わっていない.
>(布施広「アラブの怨念」,新潮文庫,2001/12/1,P.254-255)